旧宮川家住宅
県重要有形民俗文化財に指定されており、わら打ち石、かまど、風呂などが往時のままに保存されています。 典型的な農家建築で、明治時代の町内及び周辺地域の生活様式を窺うことができます。
所在地: 岐南町平成7丁目38番地
問い合わせ: 岐南町図書館 電話 058-247-7737
伏屋獅子芝居
伏屋獅子芝居は地域住民の手によって150年を経た現在にまで受け継がれてきました。
問い合わせ: 岐南町図書館 電話 058-247-7737
飯沼勘平長資の墓
岐阜城主・織田秀信の家来である飯沼勘平長資は、慶長5年(1600年)8月、関ヶ原の合戦の前哨戦で多くの手柄を立てた21歳の武将。 東軍大将池田輝政の弟、池田長能と一騎打ちをして戦死しました。
村上彦四郎義光・妻岩根女一族の墓
南朝の後醍醐天皇の子、護良親王の忠臣でであった義光は、信濃から吉野へ転戦する途中、現在の岐南町印食に住んでいた乳母に妻を預けました。 後に、西海寺に義光とこの地で亡くなった妻の一族の供養塔が立てられ、そこから今の専光寺に移されたものと思われます。
伏屋城趾
織田信長が美濃の国を守るために羽柴秀吉に作らせた砦です。 伏屋城は、木曽川の上流から材木を筏にして運び、わずかな日数で砦を作ったため「一夜城」とも「太閤城」ともいわれました。 現在も土塁の一部が残っています。
お囲い堤
江戸時代初期に、当時の領主が自分の土地を境川(木曽川)の氾濫や、各務原台地からの水の流れから守るために設けた堤です。 旧村の地形を証明する史跡となっています。
エノキ
生島神社参道に美しい樹形を見せるエノキ。 樹齢約170年。 枝切りがしていない自然のままの姿が特徴です。
三宅文楽
今は六首の頭が残っているだけですが、江戸初期に始められた三宅村の操り芝居は、人形に糸を付け影から操り、音楽に合わせて動かすものでした。 残っている頭を見ると眉毛や目などが首からつながっている糸によって動くようになっていることが分かります。
松原家長屋門
白壁の横長な建物は長屋門とよばれ、この辺りではぽつりぽつりと見かけることのできる昔ながらの門構えです。門を挟んだ小部屋は、昔の人々が農作業を営むために使用していました。町の有形文化財に指定されています。
伏屋の地芝居衣装
獅子芝居や地歌舞伎など、地域の人々によって行う芝居は「地芝居」と呼ばれています。 「伏屋の地芝居衣装」は伏屋地区で行われてきた地芝居で使用されてきたものであり、江戸時代後期から明治時代中期にかけて制作されたものとみられる、かなり高度な技術で作られたものも含まれます。 現在、岐南町伏屋獅子舞保存会が所有する地芝居衣装のうち、特に貴重な14点が有形民俗文化財に指定されています。
文化財一覧
名前 |
所在地 |
時代・幹の周囲 |
種別 |
指定年月日 |
旧宮川家 |
平成 |
明治 |
有形民俗学(建設物) |
県 昭和55年3月24日 |
伏屋の獅子芝居 |
伏屋 |
江戸 |
無形民俗(芸能) |
県 昭和63年8月23日 |
円空仏三体 |
平成 歴史民俗資料館
|
江戸 |
有形(彫刻) |
昭和53年11月5日 |
円空仏一体 |
徳田 |
江戸 |
有形(彫刻) |
平成3年7月25日 |
松原家長屋門 |
薬師寺 |
江戸 |
有形(建設) |
昭和62年2月17日 |
三宅文楽の頭六首 |
三宅 |
江戸 |
有形民俗(芸能) |
平成2年1月17日 |
村上彦四郎義光公の妻 岩根一族の墓 |
八剣 専光寺 |
南北朝 |
史跡 |
昭和53年11月15日 |
初代豊松清十郎の墓 |
三宅 浄苑墓地内 |
江戸 |
史跡 |
昭和53年11月15日 |
飯沼勘平長資の墓 |
平島
|
江戸 |
史跡 |
昭和53年11月15日 |
伏屋城跡 |
伏屋 |
安土桃山 |
史跡 |
昭和54年9月5日 |
エノキ |
上印食 生島神社 |
315センチメートル |
天然記念物 |
昭和53年11月15日 |
お囲い堤 |
野中 |
江戸 |
史跡 |
昭和53年11月15日 |
伏屋の地芝居衣装 |
伏屋 獅子舞会館 |
江戸~明治 |
有形民俗(衣装) |
令和4年4月4日
|